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東京高等裁判所 昭和55年(ネ)1672号 判決 1982年1月28日

控訴人

尾川八郎

控訴人

尾川正美

右控訴人ら訴訟代理人

海老原茂

菊地一夫

被控訴人

橋本守治

主文

一  主位的請求に関する本件控訴を棄却する。

二  原判決中控訴人らの予備的請求を棄却した部分を取り消す。

被控訴人は、控訴人らより金一〇〇万円の支払いを受けるのと引換えに、原判決末尾添付物件目録記載の建物部分を明渡せ。

三  訴訟費用は第一、二審を通じ三分し、その二を被控訴人の、その余を控訴人らの各負担とする。

事実《省略》

理由

一亡尾川新治郎(以下「新治郎」という。)が被控訴人に対し、昭和四五年五月二日本件建物部分を、期間は同月一日から二年間、賃料は一か月一万三〇〇〇円、被控訴人が本件建物部分において危険な行為又は近隣の迷惑となるべき行為その他右部分に損害を及ぼす行為をした場合には、貸主は賃貸借契約を解除することができるとの約定で賃貸したこと、新治郎が昭和四六年五月一一日死亡し、控訴人らがその相続人として本件建物部分の賃貸人たる地位を承継したこと、右賃貸借契約が昭和四七年四月三〇日及び昭和四九年四月三〇日にそれぞれ右と同一の条件で更新され、なお賃料は昭和四八年四月分より一か月一万五〇〇〇円に増額されたこと、及び控訴人らが契約期間の満了日である昭和五一年四月三〇日に先立ち被控訴人に対し昭和五〇年一一月一八日付書面をもつて右契約の更新を拒絶する旨の通知をなし、右通知がそのころ被控訴人に到達したことは、いずれも当事者間に争いがない。

二主位的請求についての判断

1  被控訴人が主位的請求を理由あらしめるため主張する(一)右昭和五〇年一一月一八日付書面による更新拒絶、(二)昭和五一年四月三〇日の期間満了後における使用継続に対する異議、(三)昭和五三年四月三〇日の六か月ないし一年前にしたとみなさるべきである旨主張する更新拒絶は、いずれも、立退料の提供を除外して、本件賃貸借契約を終了させるに足りる正当の事由が存することを前提とするものであるので、以下右正当事由の有無につき検討する。

(一)  <証拠>を総合すれば、次の事実を認めることができる。

(1) 原判決末尾添付図面に表示のとおり、本件建物部分は、八畳一間と台所、玄関、便所、廊下状の板の間からなる面積23.14平方メートル(七坪)のものであり、その北西部には押入を境にして六畳一間、三畳二間と玄関台所、便所からなる実測面積33.88平方メートル(一〇坪二合五勺)の建物部分が隣接し、右両部分は全体として一棟二戸建の長屋式建物を形成している(以下、右北西部の建物部分を「隣接建物部分」といい、これと本件建物部分とを合せたものを「本件建物」という。)。本件建物は、新治郎がもと荷馬車業を営んでいたところから、大正一三年ころ馬方の宿舎として建築したものであり、昭和三〇年代まではこれに馬方が居住していたが、昭和四〇年ころ控訴人らの実姉渡辺治子とその夫で大工の渡辺福雄が二人の子供とともに隣接建物部分に入居し、次いで昭和四五年五月タクシー運転手の被控訴人とその妻時子が本件建物部分に入居した。右渡辺夫婦は昭和四五年ころ隣接建物部分に四畳と三畳の二階を増築したが、本件建物部分は建築以来大改修がなされたことはなく、その建物としての現況は後述のとおりである。なお、本件建物の周辺は第一種住居専用地域であつて住宅が密集している。

(2) 被控訴人の家族構成及び本件建物部分の使用状況は、次のとおりである。すなわち、

被控訴人は、妻時子との間に、入居後間もない昭和四五年九月二日長男をもうけ、同人を含め一男三女の子供があり、昭和五六年一一月現在長男は小学校五年生に、長女は同四年生に、二女は同三年生に、三女は同一年生に成長した。

被控訴人は、昭和四五年及び昭和四六年の冬には本件建物部分の八畳間の畳の上に鉄板を張つた木枠を敷き、その上に薪ストーブを乗せて使用し、そのため昭和四六年ころ消防署から家主である控訴人らに対し危険である旨注意があり、控訴人らないしその家族が被控訴人に右注意を伝えたが、その冬はそのまま使用を継続した。右のような事情から、当初の契約期間終了のころ、控訴人らから被控訴人に対し本件建物部分明渡の要求がなされたが、被控訴人が三〇〇万円の立退料を要求したため、右明渡の話は立消えとなつた。

被控訴人及びその長男は、時々本件建物部分の玄関付近から外へ向けて立小便をし、また、被控訴人の子供達は砂遊びのため裸足で外に出て、そのまま室内に入つたりして、渡辺夫婦や控訴人らのひんしゆくを買い、更に被控訴人は鶏やうさぎなどを飼育した(このことは当事者間に争いがない。)が、早朝に鳴く鶏の鳴声については近隣の第三者からも苦情が出たため、本訴が提起された後間もなく右動物の飼育を中止した。

また、被控訴人は、カラオケを愛好し、時折り本件建物部分でマイクを使用してカラオケに合せて歌を歌つている。

(3) 被控訴人はタクシーの運転手をしており、その年収は昭和五三年が約四二〇万円、昭和五五年が約五〇二万円であり、被控訴人の妻時子は準看護婦の資格を有し、子供達が成長したため現在は看護婦として稼働して年収二〇〇万円以上を得ており、被控訴人の貯蓄は二〇〇〇万円に達している。

ところで、被控訴人は、控訴人らの明渡要求に対し、「控訴人らや渡辺夫婦には恨みがあるうえ、本件建物部分に居住する必要性は続いているので、一五〇〇万円以上の立退料を支払わなければ立退かない。カラオケなどがうるさいというなら渡辺夫婦が隣接建物部分から他に転居すればよい。」などと述べるのみで、相手方の立場にも配慮して問題を解決しようとする真しな態度を示さない。

(4) 本件建物部分の現況は次のとおりである。すなわち、

屋根は、当初トタン板平葦であつたところ、腐蝕したため西側の一部を除いて波トタンに葦き替えられ、更にそれも赤錆により腐蝕したため、下屋の場合についてはその上に波型塩化ビニール板、カラー鉄板等が積み重ねられ、右塩化ビニール板上には、それが風で吹き飛ばされないよう重石として煉瓦が数個乗せられている状態であつて、全般に腐蝕が強度である。外壁は、羽目板張りであつたが、既に腐朽したため、その上から古いトタン板を打ち付けて補修し、現況はトタン張りの状況にある。建物の基礎は、便所のコンクリート枠部分を除きコンクリートの破片や大谷石が置かれただけの簡単なものであり、柱は、直接右の基礎石上に立てられた状態でその根元が腐朽してきており、それは特に台所の囲りの柱について著しく、そのため本件建物部分の柱の相当多数が右腐朽の状況に応じて二度ないし四度程度傾斜し、右部分は総体的に西から東への傾斜がみられるに至つている。床は、中央の八畳間の部分については未だ腐朽はみられないが、玄関を入つた廊下状の部分については下に続む程弱くなつており、八畳間に続く西側の板の間部分についても西へ著しく傾斜し、板のようになつている。

右のように、本件建物部分は腐蝕腐朽が顕著であり、今後大修繕を施したとしても、居住性、快適性を十分に回復することは困難で、投下費用に見合う収益性の増加も期待できない。しかしながら、屋根がトタン葺で軽量のため、柱の傾斜や沈下に対し格別大きな影響はない。個々の柱の傾斜の程度も軽度であり、建物全体が以前改築した隣接建物部分に支えられていることもあつて、近い将来本件建物部分が倒壊するまでの危険はない。屋根、外壁も一応風雨を凌ぐ程度の働きは失つていない。したがつて、本件建物部分は、現在直ちに取り壊しても経済的な損失にはならないが、未だ朽廃という段階にまでは至つておらず、朽廃したといいうる状態に達するまでには原審における鑑定時(昭和五四年六月一一日)からなお五年程を要すると見込まれる。

(5) 一方、控訴人らないし渡辺夫婦の本件建物部分明渡の必要性をみるのに、本件建物の敷地を含む一区画933.83メートル(282.48坪強)の土地は、磯ヨシ子、橘桂子、渡辺治子及び控訴人両名の兄弟五人が亡父から相続して共有していたもので、控訴人両名は右区画の中にそれぞれ自宅を所有しており、また右区画内の一部の土地は第三者に賃貸していたが、昭和四六年五月一一日新治郎が死亡して控訴人両名が本件建物を相続したことなどをきつかけとして右共有地を分割することとなつた。右分割の結果、控訴人両名はそれぞれ自宅の敷地部分を取得し、渡辺治子、(以下「治子」という。)は自己及び被控訴人の居住している本件建物の敷地の大部分を占める渋谷区代々木五丁目五六番三〇宅地76.44平方メートル(二三坪一合二勺強)を取得し、治子の姉である磯ヨシ子、橘桂子も治子と同程度の面積の土地を取得し、そのころ一部の賃貸土地を賃借人に売却した。

ところで、本件建物の敷地の大部分を占める前記土地を所有し、本件建物のうち隣接建物部分を控訴人らから借り受け使用している治子方は、その夫福雄と福雄とともに大工をしている長男等(昭和三〇年一〇月一五日生)長女純子(昭和三三年一月七日生)の四人家族であり、治子夫婦が隣接建物部分の階下を、等と純子がその二階の四畳間と三畳間を使用していたところ、等が結婚することとなり、被控訴人から本件建物部分の明渡を受け、該部分に等夫婦が居住するか又は本件建物を全体として改築して家族全員で居住したいと考えたが、被控訴人が明渡に応じないため、等は本訴提起後の昭和五四年八月妻和江と婚姻し、等夫婦が二階の四畳間と三畳間を使用することとなり、純子はやむなく家を出て近くに間借りした。翌昭和五五年二月二〇日等夫婦に長女が出生し、右二階の二部屋では手狭となつたため、間もなく等夫婦が隣家を借りて転居し、入れかわりに純子が父母のもとに戻るなど、治子一家は本件建物部分の明渡が受けられないため多くの犠牲を強いられている。

治子の夫福雄は、胃がんに罹患し、昭和五六年四月入院して胃を全部摘出するなどの大手術を受け、現在は大工の仕事もできず、隣接建物部分で静養しており、治子一家の生活は等の収入と治子の内職によつて賄われており、治子らは被控訴人から本件建物部分の明渡を受け、老朽化した本件建物を改築して家族全員が一緒に生活することを切望しており、控訴人らも姉治子一家の住居の安定を願い、これに協力する態度を示している。

以上の事実を認めることができ<る。>

判旨(二) 右認定によれば、被控訴人には本件建物部分の使用方法について適切とはいい難い点があり、そのため治子夫婦をはじめ控訴人らや近隣の者にまで迷惑を及ぼしてきており、被控訴人の迷惑行為の一部は現在も存続していること、控訴人らは姉である治子一家のため本件建物部分の明渡を求める必要性が存すること、及び本件建物部分は老朽化が顕著でその耐用年数は昭和五九年六月ころまでにすぎないことが明らかである。

しかしながら、控訴人らは自ら本件建物部分を使用する必要性があるというわけではなく、主として姉治子一家のために明渡を求める必要があるというのであり、また本件建物部分が老朽化していることや被控訴人が幼児四名を抱えていることを考えれば、本件建物部分につき丁寧な使用方法を期待することはいささか無理といわざるをえないし、更に被控訴人の立場に立つて考えると、本件建物は交通が便利な場所にあるうえ、被控訴人は、現住居(本件建物部分)で四人の子供をもうけて育ててきたことから、土地付の現住居に愛着を抱き、しかも転居には費用を要することなどから、老朽狭隘ではあつても、現住居から容易に離れ難い気持でいることを窺うことができるのである。

以上のような双方の事情を比較較量すると、使用の必要性を有する被控訴人をして本件建物部分の明渡をさせるについて被控訴人が被る損失、明渡に伴う移転費用等の補填を考慮することなく、無条件でなされた控訴人らの前記更新拒絶ないし異議は、その限りで、正当事由ありということは困難であり、その効力を是認し難い。

2  控訴人らは、被控訴人の本件建物部分の使用方法が特約に定める行為に該当するので、本件訴状をもつて本件賃貸借契約を解除した旨主張する。なるほど、被控訴人の本件建物部分の使用方法は適切といい難い点があり、近隣になにがしかの迷惑を及ぼしたことは前説示のとおりであるが、被控訴人に丁寧な使用を期待するのはいささか無理な事情があり、また迷惑行為も賃貸借を継続し難い程度のものとは認められないから、被控訴人の行為は、賃貸人に無催告契約解除という強力な権利を賦与する前記特約所定の事由には該当しないものというべきである。したがつて、本件賃貸借契約解除の主張も採用し難い。

以上の次第で、控訴人らの主位的請求は失当として棄却すべきである。

三予備的請求についての判断

控訴人らが昭和五四年一二月六日の原審第九回口頭弁論期日に立退料一〇〇万円の支払いと引換えに本件建物部分の明渡を求める旨予備的請求をなして解約申入をしたことは記録上明らかである

判旨そこで、右立退料の提供により正当事由が補完されるかどうかにつき考えるに、被控訴人が昭和四五年五月本件建物部分を賃借してから昭和五六年一二月までの一一年八か月間に支払うべき賃料(昭和四八年三月分までは月額一万三〇〇〇円、同年四月分以降は月額一万五〇〇〇円)の合計は一八五万円にすぎず、被控訴人は一〇〇万円の支払いを受けることにより、右賃料の五四パーセントを回収しうることとなること、一〇〇万円の立退料をもつてすれば、本件建物と同程度の貸家であれば、地理的条件にさほど大きい変更を招くことなく、取得できると考えられるうえ、右立退料の実質的負担者と目される治子一家の生活状況が、前認定のとおり夫福雄が病気療養中で長男等の収入と治子の内職により維持されていることなどに照らせば、一〇〇万円の立退料をもつて少額にすぎるということはできない。

そして、先に認定説示した控訴人及び治子一家と被控訴人双方の諸事情のほか、被控訴人が他に住居を求めることが困難とはいえない状況にあり、子供達の成長とともに現住居に居住し続けることが不自然となることなどに照らすと、前述の被控訴人に有利な事情を考慮しても、立退料一〇〇万円の提供により正当事由が補完されるものと認めるのが相当であり、したがつて、前記解約申入から六か月を経過した昭和五五年六月六日限り本件賃貸借契約は終了し、被控訴人は控訴人らに対し本件建物明渡義務を負担したものというべく、右立退料一〇〇万円の支払いを受けるのと引換えに本件建物の明渡を求める被控訴人らの予備的請求は正当として認容すべきである。

四以上の次第で、原判決中控訴人らの主位的請求を棄却した部分は相当であるが、予備的請求を棄却した部分は失当であり、該部分に対する控訴は理由がある。

よつて、主位的請求に関する本件控訴を棄却し、原判決中予備的請求を棄却した部分を取り消して控訴人らの予備的請求を認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(蕪山厳 浅香恒久 安國種彦)

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